• HISTORY

  • 1900

    創業者エドワード・J・マクミランが、
    テネシー州ノックスヴィルに「スタンダードニッティングミルズ」を設立。
    自社ブランドとして「ヘルスニット」が生まれました。

  • 1920-30ʼs

    この時期にノックスヴィルは世界最大の繊維産業地区へと発展しました。
    13社の紡績工場が集まり、”Underwear capital of the world(世界の下着の中心地)”と呼ばれるまでとなりました。

    その中でもスタンダードニッティングミルズ社は、100万平方フィート(東京ドーム約2個分)という地域最大の敷地を持ち、工場内に紡績から縫製までの一貫した生産設備を有することで3,500人以上を雇用し、年間4,300万着という驚くべき数のTシャツや下着を製造していました。
    当時アメリカ最大の繊維製造工場であったとも言われています。

    その中で最も人気のあった商品が、3つボタンのヘンリーネックシャツでした。
    ヘルスニットは最初にヘンリーネックシャツを作ったと言われており、マイナーチェンジを繰り返しながら現在まで生産を続けています。

  • 1940-50ʼs

    40年代になると、第二次世界大戦下のアメリカ軍と巨大な契約を結び、何十万着というサーマルアンダーウェアや、ドロワー(冬用のレギンス)を受注し、製造することとなりました。

    第二次世界大戦後の50 年代に入ると、外国からの輸入品との競争に晒されたことでノックスヴィルでは多くの工場が閉鎖され、失業率が増加しました。
    しかしその状況の中でもヘルスニットは成長を続け、アメリカで最も人気のあるブランドの1つとなりました。
    ヘルスニットの製品はアメリカ全土および世界中で販売されていましたが、その全ての製品をノックスヴィルの自社工場で製造していました。

    このころ、『Kut-ups』というタックインしたT シャツがずり上がらない仕様や、『Freedom Sleeve』と呼ばれる腕の動きを妨げない仕様等の特許を取得、販売を始めました。

  • 1960-70ʼs

    60年代まで、『T シャツ』という言葉は、真っ白の『下着』を指すものでした。
    しかし60 年代後半になると、ヘルスニットは『下着』という枠組みを超え、カラフルな製品で新しい市場に進出しました。
    色とりどりのTシャツは、ムーブメントとして盛り上りを見せていたヒッピースタイルの若者に大流行しました。
    また、このころTシャツに写真やスローガン等のプリントが施されたものも流行しました。
    企業ロゴや、映画やアニメのキャラクターがプリントされたTシャツを、ヘルスニットでも非常に多く生産していました。

    1963年、米デュポン社が開発した技術を用い、世界初の撥水加工スウェット『SHED-ALL』を発売し、アウトドア用途で人気を博しました。

  • 1980-90ʼs

    製品染めを施したヘンリーネックシリーズを販売開始。
    20色を超えるカラーバリエーションを揃え、現在でも定番品として人気を博しています。

  • 2000ʼs

    創業から100年を迎え、数多くのブランドや企業とのコラボレーションを展開。

  • 2010ʼs

    非常に肉厚で暖かな素材を使用した、『スーパーヘビーワッフル』シリーズが登場。秋冬の定番として高い人気を誇っています。

  • Today
  • 創業120年以上という長い歴史で培った安心と信頼を基に、
    高い品質・洗練されたスタイル・快適な着心地にこだわった製品を、
    変わることなく作り続けています。

    TOPヘ戻る
  • HISTORY

  • 1900

    創業者エドワード・J・マクミランが、
    テネシー州ノックスヴィルに「スタンダードニッティングミルズ」を設立。
    自社ブランドとして「ヘルスニット」が生まれました。

  • 1920-30ʼs

    この時期にノックスヴィルは世界最大の繊維産業地区へと発展しました。
    13社の紡績工場が集まり、”Underwear capital of the world(世界の下着の中心地)”と呼ばれるまでとなりました。

    その中でもスタンダードニッティングミルズ社は、100万平方フィート(東京ドーム約2個分)という地域最大の敷地を持ち、工場内に紡績から縫製までの一貫した生産設備を有することで3,500人以上を雇用し、年間4,300万着という驚くべき数のTシャツや下着を製造していました。
    当時アメリカ最大の繊維製造工場であったとも言われています。

    その中で最も人気のあった商品が、3つボタンのヘンリーネックシャツでした。
    ヘルスニットは最初にヘンリーネックシャツを作ったと言われており、マイナーチェンジを繰り返しながら現在まで生産を続けています。

  • 1940-50ʼs

    40年代になると、第二次世界大戦下のアメリカ軍と巨大な契約を結び、何十万着というサーマルアンダーウェアや、ドロワー(冬用のレギンス)を受注し、製造することとなりました。

    第二次世界大戦後の50 年代に入ると、外国からの輸入品との競争に晒されたことでノックスヴィルでは多くの工場が閉鎖され、失業率が増加しました。
    しかしその状況の中でもヘルスニットは成長を続け、アメリカで最も人気のあるブランドの1つとなりました。
    ヘルスニットの製品はアメリカ全土および世界中で販売されていましたが、その全ての製品をノックスヴィルの自社工場で製造していました。

    このころ、『Kut-ups』というタックインしたT シャツがずり上がらない仕様や、『Freedom Sleeve』と呼ばれる腕の動きを妨げない仕様等の特許を取得、販売を始めました。

  • 1960-70ʼs

    60年代まで、『T シャツ』という言葉は、真っ白の『下着』を指すものでした。
    しかし60 年代後半になると、ヘルスニットは『下着』という枠組みを超え、カラフルな製品で新しい市場に進出しました。
    色とりどりのTシャツは、ムーブメントとして盛り上りを見せていたヒッピースタイルの若者に大流行しました。
    また、このころTシャツに写真やスローガン等のプリントが施されたものも流行しました。
    企業ロゴや、映画やアニメのキャラクターがプリントされたTシャツを、ヘルスニットでも非常に多く生産していました。

    1963年、米デュポン社が開発した技術を用い、世界初の撥水加工スウェット『SHED-ALL』を発売し、アウトドア用途で人気を博しました。

  • 1980-90ʼs

    製品染めを施したヘンリーネックシリーズを販売開始。
    20色を超えるカラーバリエーションを揃え、現在でも定番品として人気を博しています。

  • 2000ʼs

    創業から100年を迎え、数多くのブランドや企業とのコラボレーションを展開。

  • 2010ʼs

    非常に肉厚で暖かな素材を使用した、『スーパーヘビーワッフル』シリーズが登場。秋冬の定番として高い人気を誇っています。

  • Today
  • 創業120年以上という長い歴史で培った
    安心と信頼を基に、
    高い品質・洗練されたスタイル・快適な
    着心地にこだわった製品を、
    変わることなく作り続けています。

    TOPヘ戻る